それが高倉健という男ではないのか

  • 2014.11.22 Saturday
  • 10:02
旅の途中で
高倉 健
新潮社

旅の途中で (新潮文庫)
高倉 健
新潮社

今日も、高倉健さんの著書『旅の途中で』から勉強しましょう。

この本の中にどうしても紹介したい「それが高倉健という男ではないのか」という詩が引用されています。もともとは、下の1983年に出版された写真集に作家の丸山健二氏が寄稿したものです。


高倉健 独白―写真集
高倉健
学研

健さんの生き方を如実に表したものではありますが、多分に理想化された文章のように見えるので、健さん自身掲載するのを「躊躇」したといいます。

ですが、健さんが落ち込んだときに「自分に気合を入れてきた文章」というだけの迫力があり、われわれ一般人にもひとつの生き方の手本を示しています。長い詩ですが、読んでみてください。

**********

それが高倉健という男ではないのか  丸山健二

何もかもきちんとやってのけたいと思い、
これまで常にそうしてきたのは、
映画を愛していたからではなく、
あるいは役者稼業に惚れこんでいたせいでもなく、
ただそれが仕事であり、
それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない。
だから、できることなら、ファンと称する大勢の他人に囲まれたり、
カメラの前で心にもない表情を作ったり、
ややこしい人間関係の真っただ中に身を置いたりはしたくないのだ。
それが高倉健という男ではないのか。

とはいえ、いやいやながら仕事をしているのではない。
好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、
やるかやらないかを問題にするのであって、
やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎ込み、奮闘する。
仕事だから仕事らしい仕事をやってのけようとする。
それは観客のためではなく、自分自身のためにすることなのだ。

受けるとか、受けないとかはもちろん気になるが、
最終的には「知ったことではない」の一言で蹴飛ばしてしまう。
それが高倉健ではないのか。

必要以上のサービスは真っぴらだ。
おれを見たければ映画館へ行くがいいし、こうした本でも買うがいい。
だが、本物のおれと、おれの私生活には決して近づくな。
誰であってもだ。よしんば仕事の関係者であってもだ。
ましてや《男と男の友情》などと口走って迫ってくる
薄気味のわるい男は尚更だ。
おれはスターの立場にたまたまいるのであって、
いわるゆ《スターさん》に強くこだわったわけではない。
それが高倉健ではないのか。

腰巾着やらお供やらを引き連れて毎夜銀座をうろつかなければ、
あっちからもこっちからも声がかからなければ、
いつでもちやほやされていなければ淋しくてたまらないし、
取り巻き相手にわめき散らしていなければ安心できないというのが、
《スターさん》。
仕事をすませた途端に素早く自分に戻れるのが、《スター》。
スターは己れを見失うことがなく、
ときどき胸のうちで冷ややかな笑みを浮かべている。
それが高倉健ではないのか。

役者は特別な存在でなければならない。
たとえ普通の人間を演じる場合であっても、普通の男ではいけない。
とりあえず外見が問題だ。
顔だけ特別に立派でも、
首から下が世間の連中とまったく同じではまずい。
つまり、頭のてっぺんからつま先までが
売り物としてふさわしくなくてはならない。
大酒を飲み、大飯を食らい、どこにでもいるただのデブとなって、
ほんのちょっと動いただけで息切れがするような男が
主役を平然とやってのけている。
しかし、彼だけは違う。彼はいつだって特別だった。
それが高倉健ではないのか。

必要に応じて必要な動きができる男が減ってきている。
どうということもないのに大げさに騒ぎたてる男はうじゃうじゃいる。
そんなに動かなくてもいいのに派手に動きまわる男が増えている。
そんな男に限って、本当に動かなければならないときに
こそこそと逃げてしまう。
恰好だけでいいのだ、中身なんてどうでもいいのだ、
外側しか見えないさ、とかれらは居直る。
だが、そうではない。
人間の中身ははっきりとスクリーンに映し出されるものだ。
たとえば分厚い皮下脂肪のような形で。
彼は必要に応じて必要な動きができる。
スクリーンの上だけではなく、私生活でも。

それが高倉健ではないのか。

三年前にはやれなかったことが、今は簡単にやってのけられる。
そんな男は少ない。流れに身を任せることを知っていて、
ときには流されもするが、しかしそれでも頭は常に上流へ向けられ、
両手はのべつ水をかき、両足はしょっちゅう水を蹴っている。
つまり、エネルギーの配分を冷静に計算しながら、
少しでも前進しようと狙っている。
彼は決して溺れない。
それが高倉健ではないのか。

暗くて、重くて、正しくて、強い一匹狼のイメージは、
いつしか敬遠されるようになった。
そうした主人公に憧れ、血の騒ぎを覚える男は減るばかりだ。

時代はますます軽くて薄い方向へと傾いてゆく。
その日その日をちまちまと、こすっからく、目先の欲に振りまわされて、
弱くてだらしのない男たちが、
「普通でいいんだよ」、「自然に生きたいのさ」、
「等身大の生きざまがしたいんだ」
などという小賢しい言葉の上であぐらをかいている。

そのなかにあって彼は男でありつづけたいと願い、
役者をしながらもその姿勢をくずそうとしない。
それが高倉健ではないのか。(pp. 77-83;太字貧乏英語塾長)

**********

力強い筆致に圧倒されます。健さんそのものを描き出しており、目が釘付けになります。そして、普遍的な大成功者のあるべき姿が描写されているように思います。

他者や時代におもねらず、自分の信じたもののために闘い続ける。
無理をしない「等身大」を好む生き方と決別して、あえて厳しい環境に身を置く。


そんな健さんの生き様が伝わります。

結局のところ、世界で長年にわたって活躍している人たちは、多かれ少なかれ、このような生き方に準じているものです。「それが○○○という人間ではないのか」と自問することで、確固たる自分自身の立場を確保しているのです。

世の中の流ればかりを考えていたら、自分のしたいことなど何もできません。むしろ、自分のなすべきことを中心に考えるべきなのです。

健さんがそう信じて、東映での安住の生活を飛び出し、日本を飛び出して、世界で活躍されたように、多くの若者が夢と希望をもって世界で活躍してくれることを願わずにはいられません。

今日の教訓:自分が自分であるために、日々の努力は存在する!
コメント
常に、厳しい環境に、身を置き、誠実の心と勇気を持って、自ら、直面する困難を克服していくことの大切なことを教えていただいております。
健さん、ありがとうございます。
丸山さんの、簡潔で、無駄の無い文章も、わかりやすいです。
  • 中野
  • 2015/01/18 8:13 AM
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